
創価そうか学会がっかいの言いう「御ご書しょ根本こんぽん」
は大だい誑誑惑惑の偽にせ言げんだ!
―創価そうか学会がっかい―
本年ほんねん一いち月がつ二十はつ日か付づけの創価そうか新報しんぽう(第だい八はち面めん)では、
「創価そうか学会がっかいは、創立そうりつ以来いらい八十はちじゅう年ねん、日蓮にちれん大だい聖人せいじん直結ちょっけつ、御ご書しょ根本こんぽんで広宣ひろのぶ流布るふの闘争とうそうを貫つらぬいてきた」
として、末端まったんの会員かいいんを煽あおっている。
唯ゆい授じゅ一人ひとりの血脈けちみゃくを無視むしした「日蓮にちれん大だい聖人せいじん直結ちょっけつ」の思想しそうが大だい謗そし法ほうであることは、既すでに本欄ほんらんでもたびたび指摘してきしている。
今回こんかいは、創価そうか学会がっかいが主張しゅちょうする「御ご書しょ根本こんぽん」の誑誑惑惑について破は折おりしておきたい。
もちろん、本宗ほんしゅうにおいては、第だい二に祖そ日興にっこう上人しょうにんが『日興にっこう遺い誡かい置おけ文ぶん』に、
「当とう門流もんりゅうに於おけては御ご抄しょうを心こころ肝きもに染そめ」(御ご書しょ 一いち八はち八はち四よん㌻㌻)
と御ご教示きょうしのように、御ご本ほん仏ふつ日蓮にちれん大だい聖人せいじんが著あらわされた御ご書しょを心こころ肝きもに染そめることが大事だいじであり、御ご書しょが宗義むねよしの根幹こんかんたる最さい重要じゅうよう書しょであることは論ろんを俟俟たない。
しかし、日興にっこう上人しょうにんは、先さきの御ご指南しなんに続つづいて、
「極ごく理りを師し伝でん」(同どう㌻㌻)
することが重要じゅうようであるとも示しめされている。つまり「御ご抄しょうを心こころ肝きもに染そめ」ると同時どうじに、「極ごく理りを師し伝でん」することが必要ひつよう不可欠ふかけつであると御ご指南しなんされているのである。
御ご本ほん仏ふつの御ご教示きょうしは深遠しんえん・難解なんかいであるから、「極ごく理りを師し伝でん」する唯ただ授じゅ一人ひとり血脈けちみゃくの御ご指南しなんに基もとづかなければ、凡夫ぼんぷの浅あさ智慧ちえなどでは正解せいかいを得えることはできない。
また、日興にっこう上人しょうにんの『佐渡さど国こく法華ほけ講こう衆しゅう御ご返事へんじ』には、
「この法ほう門もんは、師弟してい子こを正ただして仏ふつに成なり候こう。師弟してい子こだにも違ちがい候そうらへば、同おなじ法華ほけを持もちまいらせて候そうらへども、無間地獄むけんじごくに堕おち候こうなり」(歴代れきだい法主ほっす全書ぜんしょ)
と示しめされている。
つまり、師し・弟子でしの筋目すじめを正ただして信しん行ぎょうに励はげむところに初はじめて妙法みょうほう即身そくしん成仏じょうぶつの本懐ほんかいを得えることができ、反対はんたいに、師し・弟子でしの筋目すじめに背そむいて、いかに法華ほけ経きょうを持もち、御ご書しょを根本こんぽんにすると言いっても、師し敵対てきたいの大だい謗そし法ほう罪つみにより、必かならず無間地獄むけんじごくに堕おちるのである。
実じつは、創価そうか学会がっかいの誑誑惑惑とは、この大だい聖人せいじん、日興にっこう上人しょうにん以来いらいの唯ただ授じゅ一人ひとりの血脈けちみゃく法ほう水すい、つまり御ご当代とうだい法主ほっす上人しょうにんの御ご指南しなんを無視むしし、師し・弟子でしの筋目すじめに逆さからって、自分じぶん勝手かってに御ご書しょを解釈かいしゃくし、己おのれ義ぎ・我見がけんを唱となえるところにある。
それは、創価そうか教きょう、池田いけだ教きょうを正当せいとう化かするため、下種げす仏法ぶっぽうを破壊はかいせんとする、池田いけだ創価そうか学会がっかいの狡猾こうかつな欺瞞ぎまんであることを見破みやぶらなければならない。
学会がっかいは、信行のぶゆきを混乱こんらんし、脱線だっせんした輩やから
創価そうか学会がっかいにとって大恩だいおんある総そう本山ほんざん第だい六十ろくじゅう五ご世せい日にち淳あつし上人しょうにんは、次つぎのように御ご指南しなんである。
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유시문 기자 다른기사보기